7年間の修行を終え、師から「世の中に出て人と会え」と背中を押された道也は、水を得た魚のように活動を始めた。
かつての芸術への情熱を取り戻し、演劇、写真、映画と、様々なジャンルの人々と交流を深めた。
だが、人生の荒波はまだ終わらない。
あまりに精力的すぎた代償か、彼は「ギラン・バレー症候群」という難病に倒れる。全身の筋肉が麻痺し、動けなくなる病だ。
しかし、その病床で彼が見たものは、絶望ではなく「光」だった。
医師、看護師、清掃員。下の世話をしてくれる人々。
かつて「自分一人の力で生きている」と信じ、「闇夜のカラス」のように周りが見えていなかった自分の姿に、彼は気づかされた。
「人は、つながりの中で生かされている」
その温かい事実は、修行時代の悟りとはまた違う、柔らかな衝撃として彼を変えた。
現在、菊池道也は、お坊さんとしての活動の傍ら、絵を描き、演じ、書き続けている。
彼の目標は「宗教からの自立」だ。
お坊さんという特権的な高みから説法をするのではない。泥臭い大衆の中に飛び込み、同じ目線で笑い、泣き、感動する。
「お坊さん」という肩書きを脱ぎ捨て、ただの「人間」として生きたい。
トイレ掃除をするおばあちゃんの背中に、下水道工事で汗を流す人々の姿に、尊さを見出せる自分でありたい。それが今の彼の祈りだ。
もし今、彼がタイムマシンに乗って、あの頃の自分に会えるとしたら。
強制的に出家させられ、夢を絶たれた若き日の自分に、彼はこう声をかけるだろう。
「おい、やっぱりスペインに行ってもよかったんじゃねえか?」
そう言って笑うかもしれない。
だが、その笑顔には一点の曇りもないだろう。なぜなら、回り道に見えたその全てが、今の「菊池道也」という人間を作り上げる、かけがえのない絵の具だったのだから。
波乱万丈な人生のキャンバスには、これからも彼自身の手によって、鮮やかな色が塗り重ねられていく。
怖がらず、動け。
運命を、運べ。
(終)