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第三章:紫煙の向こうの羅針盤らしんばん

望まぬ衣をまとった道也の心は、荒れに荒れていた。

寺の庭にある桜の木をわざとへし折る。掃除をサボり、ふて寝する。

(クビにしてくれ。破門にしてくれ。俺をここから追い出してくれ)

そんな無言の抵抗を続けていた彼に、兄は愛想を尽かし、そして最後の賭けに出た。

「お前のような奴は、ここではダメだ」

行き先は奈良県、長谷寺はせでら。古都の山深い場所にある、修行の道場だった。

「茨城の暴れん坊が来るらしい」

そんな噂と共に長谷寺に放り込まれた道也。31歳になっていた彼の心は、依然として頑ななままだった。

ある日のことだ。修行の合間の、ほんのわずかな休息時間。

長谷寺の規律は厳しいが、その日は特別に空気が緩んでいたのかもしれない。

修行僧たちを束ねる指導的な立場の高僧が、ふらりと道也に近づいてきた。

「おい、タバコ吸うか?」

差し出された一本。神聖な修行の場に似つかわしくない、俗世ぞくせ嗜好品しこうひん

道也は驚きつつも、その誘いに乗った。

火を点ける。チリチリと葉が燃える音。細く立ち上る紫煙しえんが、奈良の古寺こじの空気に溶けていく。

二人の男が並んで煙をくゆらせる。張り詰めた修行の日々の中で、ふと訪れた奇妙な静寂だった。

その時、高僧が不意に口を開いた。

「お前、運命って信じるか?」

唐突な問いだった。だが、道也の答えは決まっていた。

「いいえ、信じません」

僧侶にあるまじき返答。しかし、嘘をつく気にはなれなかった。自分はこの場に強制的に連れてこられたのだ。神も仏も運命も、クソ食らえだ。

怒られるか、呆れられるか。身構えた道也の耳に、意外な言葉が飛び込んできた。

「俺もそうだ」

高僧は短く笑い、煙を吐き出した。

「え?」

道也は思わず横を見た。この人は何を言っているんだ。あんたは僧侶のトップじゃないのか。

高僧は、煙の行方を目で追いながら、静かに、しかし重みのある声で続けた。

「いいか、『運命』という字を書いてみろ」

「はあ……」

「命を運ぶ、と書くだろ? その命を運ぶのは誰だ? 神様か? 仏様か?」

高僧は道也の方を向き、真っ直ぐにその目を見据えた。

「違うだろう。自分自身だ。俺はな、神様や仏様に自分の運命を決められたんじゃ、死んでも死にきれないんだよ」

ドクン、と心臓が跳ねた。

頭を鈍器どんきで殴られたような衝撃が走った。

これまで道也が抱いていた「宗教」への偏見――目に見えない力に依存し、運命論に逃げ込む世界――が、音を立てて崩れ去った。

目の前にいるこの男は、袈裟を着ていようとも、自分と同じ「魂」を持っていた。いや、自分以上に強く、自分の足で立っていた。

「運命は、自分で運ぶもの」

その言葉は、煙と共に消えることなく、道也の胸の奥底に焼き付いた。

嫌でたまらなかったこの場所で、初めて彼は思った。

(この人についていこう)

一本のタバコの煙が、彼の人生の羅針盤らしんばんとなった瞬間だった。