美大を卒業し、デザイナーとして働き始めた道也の日常は、希望に満ちていた。
貯金通帳の数字が増えるたびに、夢が現実に近づいていく。
「日本じゃない。俺の絵を認めてくれるのは、フランスやスペインだ」
グラナダ美術大学。アンダルシアの陽光。そこで画家として大成する自分。その設計図は完璧なはずだった。
しかし、運命の歯車は、唐突に、そして暴力的に逆回転を始める。
一本の電話が鳴った。相手はすでに出家していた兄だ。
「坊さんになれ」
耳を疑った。当時の道也にとって、宗教とは最も忌み嫌うものだった。「目に見えないもの」にすがる弱さ。神や仏に祈る時間があるなら、自分の手で人生を切り開く。それが彼の信条だったからだ。
「ふざけるな」と断る道也。だが、状況は彼を逃さなかった。
兄の師匠が脳梗塞で倒れ、寺の存続が危ぶまれていたのだ。
抵抗する道也を追い詰めたのは、まさかの「実力行使」だった。
ある日、会社に12人もの檀家たちが押しかけてきたのだ。さらに、頼みの綱であった会社の上司からも、彼に引導を渡す。
「会社はお前一人が抜けても回る。だが、寺はお前がいないと回らないんだ」
個人の夢、意思、スペインへの憧れ。すべてが「お家事情」という理不尽な波に飲み込まれていった。
それは選択ではない。強制的な連行だった。
画家になるはずだった手は、数珠を持たされ、剃り上げられた頭には冷たい風が当たった。
こうして、夢見る青年・菊池道也は、世の中で最もなりたくなかった「お坊さん」になった。